2017年12月23日の思考

この記事を開いて下さった物好きな皆様、まずは本当にありがとうございます。まず始めに今日の文章を書くに至った理由とか、どういう風に文章を進めていこうかみたいなことを書いていきたいと思います。この記事全体の構成だったり、そもそも改行をする気すらありません。現在の思考をそのまま文字にしていこうみたいな感じで。文体もいつもTwitterでやってることを文字数制限無し、区切り無しでやってみようみたいなそんな感じです。そして、僕と電話だったり直接会って話をしたことがあるひとなら、まぁ音声が再生されるだろうなーみたいな感じのゆるい感じでやっていきます。なので、僕自身(の思考)に興味がない方はもうこの辺りでページを閉じて頂くことをオススメします。いや、もう言われなくても閉じてる人は閉じてると思うんで、最終確認みたいな、これ以降読み進めた後に、なんの価値もないよこの文章とか言われても「あっ、そうですか」としか回答できないですよってことを先に伝えておくよってことっすね。あー、敬語にしようか、タメ口にしようかちょっと考えますね。うん、自分よりも5歳くらい上のネットで知り合った仲の良い人に話しかける感じにしよう。なんかそれが一番自然に話せる気がする。そう、これは文章ってよりかは会話に近いのかな、自分の思考をそのまま相手に垂れ流していく、入り込んでいくみたいな。入り込んでいくはちょっと気持ち悪いっすね。で、何の話を今日しようかっていうと、ポッピンQ一周年おめでとうございますってやつなんですよ!でー、これまでもちょこちょこ想いをTwitterで垂れ流してたり、記事にしてみたりしているので、今日は何をテーマにしようかなって考えていたんですね。一応候補としては「ポッピンQと私の一年を振り返る」とか、「ポッピンQの良いところを簡潔に3つ挙げる」とか、去年書いた「評価」についての記事を改めて書いてみるとか、「ポッピンQから得たもの、そこから思考したもの」みたいなのをいくつか考えて。でー、なんかもう考えてたら気合入れて文章書くにはちょっと体力がなくて、いや気力?エネルギー?がちょっと今なくて。じゃーもう全部ごちゃ混ぜにして思考垂れ流しでよくね?って感じになって今に至るわけです。よし、じゃあそろそろポッピンQの話します?勝手にしますね。まず、この一年振り返ると思ってたよりたくさんのイベント参加してきたなって驚きましたね。そもそも、こんなイベントあったんだっていうこともだけど。いやもう、すごい、すごすぎる。この一年、幾度と無く何で自分はこんなにポッピンQが刺さってしまったのかって考えていたんですけど、明確な答えはやっぱり出なくて、明確な答えがでないからこそずーっと自分の中でひっかかってるんだろうっていうのが答えといえば答えかもしんないすけど。似たような話だと去年書いた記事では、顔面にボールがめりこんでるなんて書いた記憶がありますね。一年前の自分なかなかやるなって自画自賛しておきますね。で、これはずっと思ってることの一つではあるんですけど、あまりにも出来が良くて綺麗にまとまってて気持ちよく感動して終わった作品っていくつもあるんですけど、それで自分の中で終わりになっちゃうやつがある感覚というか。よし!じゃあ次の作品いってみよーってなってしまうっていうか。早合点しないで欲しいんですけど、じゃあポッピンQが出来が良くなかったかっていうとそんなことは言ってなくて。むしろ要素としてはめちゃめちゃ出来が良いように自分では思える。ってかこれは去年書いた記事でめちゃめちゃ遠まわしに書いてるけど、出来が良いってなんだよっていう。面白い、自分に合うみたいなのはもう完全に自分の感想なので割とどーでも良い概念なんだけど、出来が良いなんて言うのはもうある程度そのジャンルに精通しているというか知識、技術、経験に裏付けがないと価値があんまない言葉だと思うんだけどどーなんすかね。いやまぁネタ?みたいな感じで言ってるんであれば、そこにツッコミいれるのは野暮だなとは思うんです。この野暮助!って天花寺って言われたいなー、あっスタミュの話です。でも、マジで自信過剰というか、どれどれオレ様がこの作品を評価してやるから見せてみなさい的なオーラで文章書いてる人って結構いますよね、なんか勝手に頑固なおっさんのイメージもあるし、20歳くらいの自信満々?な暇な大学生とかのイメージなんですけど。(これ、後者は過去の自分なので自分の知り合いの人はスルーしてもらえると嬉しいっす)で、なんの話してたっけ。あー、そう出来が良いってのは何かって話です。この言葉の定義をちょっと自分なりに考えてみたんですけど、「現在、多くの人に妥当とされている評価基準にそって評価した時に高い点数をつけられるもの」って感じなのかなと。これが正しいんだって主張じゃなくて、今日こんな感じに思ってるよ、あなたはどう思います?くらいの話なので、こういう話したときにすぐ怒んないで欲しいです。また、話が逸れたな。で、ポッピンQがどうかって話なんですけど、自分の中にいるこれまで結構な数の作品に触れてきた感覚からすると、まぁ高い点数をつけられない人がいるのも妥当だなって正直言って思う要素もあります。ただ、それは要素の話ではあるし、自分自身の培ってきた経験や感覚から判断したところによるものです。つまり、こういう時って自分自身の経験や感覚が邪魔してるってことでもあって、あとなんだろ、そもそもその評価基準や項目自体合ってんの?みたいな話ですよね。だから、ポッピンQ見たあと色々とまた思考がはかどったわけなんですけど、そういう意味で自分にとって価値がある作品だったなぁと思うんです。そう、これは次の話なんですけど、一般市民が作品の評価をする意味ってどんくらいあんのかなーってやつなんですよね。昔は、自分自身80点とか☆4とかめちゃめちゃ真面目に評価基準作って、公平に、出来る限り客観的にーみたいなことを考えてブログやってた時もあるんですけど。もう15年くらい前の話か、なつかしすぎる。それも趣味っていうか「公平に評価してやるゲーム」としては面白いところがあるのは間違いないんだけど、あー、これは製作者から隠れてひっそりとやるもんかなってなんかふと思った時があって、いや、現在進行形でやってる方を批判する意図は全くないです。そう、自分が明日やべーそのゲーム面白いなってやってる可能性すらありますからね。というか、あんまりそんな親しくない他人の行動に干渉する気が無いです。で、今の自分が大事にしてる感覚が何かなって考えてたら、その作品を思考の種にして何を考えたかとか何か持ってこられたかとかそういうとこかなって。で、何度もしつこくいうけど、これが至上の鑑賞スタイルなんていうつもりは全くなくて、あくまで今日、今この瞬間そうかも?くらいに思ってるだけなんですよ。なんか頭の固い人って、強い主張を強く持ちすぎなことあるなーって感じるとこがあって、現実世界で何か選択や行動を迫られている時はまー自分もそうなることはありますけど、思考段階においてはなるべくフラットでいたいっていうか、ぐにゃぐにゃした感じってか何にでもなれるスライム状のなんかみたいになりたいって感じなのかな。そういう考えがそもそもベースにあるんで、なんでも二者択一にしてあなたはどっち派閥?!とか真面目に聞いてくんのはちょっと困るときあるんですよね。いや、ネタでやるのはまぁいいしノるけど。真面目にぶつけられると、そもそも試験で例えるならそれ設問自体が間違ってるとかちょっと悪問じゃないですかみたいな感覚。そんなに一貫性を求めすぎるのも身体に毒というか、政治家とかだったら表に出してる態度は一貫性があったほうが説得力あるってのはまぁ感覚としてはある。んだけど、それでも以前と主張を変えても全然おっけーだとは思いますし、それを許される世界であっても良いと思います。あんまりコロコロ毎日かわってたらやべーやつだから、適度にって感じですけど。そー、なんかネットだと特に顕著な感じがするんだけど、反論する時に極端な例をか考えを持ち出してきて、こういう反例が存在するからその理論は間違い!オレの勝ちだ!みたいな人いて、なんか見てて和む時ありますね。極端ですし、一貫性を求めすぎというか潔癖と言い換えてもいいんですけど、そういうのちょっと思考段階においてはあぶねーなって思いながら生きてたりします。で、ほんと何の話してたっけ。そう、ポッピンQの話なんですけど、もうこれ感覚的な話なんで共感されるとも思っていないんですけど、何か現代の映画評論評価基準じゃ計れない異物みたいな感じなんですよね自分の中で。そして、自分はポッピンQから評価、SNSの使い方の指針、興行と作品の内容の関連性とか挙げ始めたら切りがないくらい思考の種になるものをもらってて。それに加えて、ポッピンQがきっかけで交流があった人、1年経った今でも交流が続いてるひと、この人をは今後も長くつきあいたいなーと思う人ができたし。今まで、0から1を生み出すような行為は自分は向いてないからやらないなーとか考えてた小説かいたりとかもしてみたり、そういう側面でもめちゃめちゃ大事な作品になりましたね。そう、だから何が言いたかったかっていうと、自分は映画評論家でも何でもないただの一般市民なので、作品のできがどうだったかみたいな研究者?の道はちょっと今は一休みしてる感じっすね。いや、出来が良い悪いとは別に構造分析とかの研究はしていると思うのでなんか違うか。まぁいいや。で、じゃあそろそろ一番書こうと思ってたポッピンQの好きな所を書いていきますね、仲良い人にはもう散々言ってるからなんか忘れてたけど、文章には全然してなかったなーと思って。まず一つ目なんだけど、ポッピンQの勇気のダンスですね。正直初見の時良く分かんなくて、マスターしたら台座の四隅みたいなのが光ったのとか、コロシアムで「超えた!」っていうセリフもマジよくわかんねーなと思ってたんです。え?!みたいにちょっと置いてかれましたね。で、年明けの二回目の謎イベント(神主さんを読んでみんなでヒット祈願するっていうアレ)で見た時に、あっ!!勇気って言葉はそういうことかーーーーってなんか一人で腑に落ちて。自分は言葉を大切にしてるって良く言ってるんですけど、だからなんでこの言葉を製作者の人は選んだんだろうと考えることが良くあって。あれが「確信」のダンスとか「蛮勇」のダンスとかだったら全然違うわって。彼女達は日常生活の中で悩みを抱えていたわけだけど、その悩みの解決方法が全然わからないでいて。でも、時の谷の生活を経て同じ悩みを共有したしました、特にあの夜のシーンですけど。その共有した部分は悩みの内容ではなくて、悩んでいることだったり解決策がよくわからないでいることで。だから時の谷にいる間に明確な解決方法が見つかったとかそういうのではなくて、自分自身と向き合う心構えができた、でもその心構えってのは強い信念があるとか解決できる確実性が見えているとかじゃなくて、そうじゃないからこそ「勇気」って言葉を使ってるのかよーーーってかぁああああって唸ったわけなんですけど、ここまで自分の妄想ではあるので話半分に聞いてもらって大丈夫です。だから自分にとってはすごくわかりづらいところで、わかりやすく書き換えるならば、そういうことをセリフに組み込んじゃったりするわけだけど、かなりバッサリ切られてるからこう自分で読んでいったらそうなったとかそういうだけです。違います、そんな意図は無かったですって製作側の人に言われる可能性が非常に高いところだけど、それはそれ、これはこれで、どういう意図で作ったかっていう話と、自分自身が作品から何を得たかはつながらなくても良いというか、別であって当然と思ってて。だって、だったらその意図を言葉で全部説明したら良いわけで、言葉を使わないで表現するんであったら、できあがったものが全てだから。そして、製作者側をリスペクトする気持ちともまた全然別の話ですね。なんか、ネット上でみられる議論??未満の話っていろんな話をごちゃまぜにして混沌としてるなって良く思います。あ、話が逸れた。で!二つ目なんだけど、さっきちょっと触れた「悩み」の小ささだったり、すーーーぐわかりあっちゃう中学生??らしさみたいなのがめちゃめちゃ良いですね。あの悩みって、自分をはじめ大人なら解決の指針がまぁ立てられるでしょうというような悩みだと思います。でも、あの頃の自分を振り返ってみると今考えるとすげーー簡単な問題でもめちゃめちゃ難問に見えたし、解決の糸口が本当に見えなくて誇張じゃないくらい人生詰んでる...くらい思い悩むことが結構あったなーって。これはもう個人の経験によるところが多いから、いや、自分は特に悩まずに生きてきたよって人とか、挫折と言う挫折がなかった人とか、こんな子供じゃなかったよって人はたくさんいると思うんですね。で、そこの時点で自分は疑いを持ってるって言うか、なかなか自分の中学生のときの感覚って、歳をとるごとに忘れてしまってて、記憶の修正がかかってるなとたまに気づく瞬間があるので、悩んでたこと自体を忘れてるかもなーってのも思って。そういう所に気づかせてくれたのでおーーってなりましたね。特に伊純ちゃんの嘘が絶妙だなってやっぱ思います。この作品に限らずなんだけど、自分は男児ホビーアニメだったり女児向けといわれてる作品も良くみてて、その感想で〇〇歳はこんなに子供じゃない、こんなに大人じゃない、リアリティが無いみたいなのに遭遇するんですけど、これやっぱ正解ないってか、観てる人の世界の見え方だなーおもろ。この人どんな背景があってどんな生き方してきたんだろってなりますね。もっと強いのだと「子供を舐めてる」みたいなの文字をみたりするんだけど、舐めるって面白いっすよね。消費者を舐めてるとか、ファンを舐めてるとか、どんだけ舐めまれてんだろ、唾液まみれじゃないですかあなた!ってツッコミをちょっと考えて自分で笑いました。やべーよ。で、ここで三つめなんですけど、めちゃめちゃ都合の良いところですね。またちょっと怒らないで聞いて欲しいんですけど、一見すると都合の良い展開に見えるところってことです。初見で直後の感想を思い出すと、女子5人の物語としては一段落してよかったなー思ってたよりも対象年齢低めに向けてわかりやすくつくられたのかなー好きだなー、ちっちゃいこに絵本みたいに読んでほしいなーみたいにちょっと侮ってみてたとこがあったんですけど、ちょっと時間が経った後に、あっちょっと待ってこれ単に主人公達にとって都合が良い展開が続くなーって思ってたけど、これレノかジンバットかさらにその上位の存在か知らんけど、都合よく進むように準備されてただけの話でもあるなーと思って。作品をさらっと読む人はあー良かったねでも追われるし、ちょっと考えたいなーって人にとっては余白があるってか、色んな楽しみ方がある出来上がりになってるなって。どっちかが正しい視聴方法みたいなのはなくて、だからこそすごいなーと。これが製作者側が意図したものなのか、意図してないけどつくってみたらこんなものができあがったってのはもう永遠のテーマだと思ってるんですけど、どっちなんだろうなーとか考えるのも楽しいですね。だから、なんだろなんかこれはめちゃめちゃ計算されてつくられた素晴らしい作品だからそれに気づかないヤツは浅く読んでて甘いみたいなのとはちょっとちがうなーって感じ。続編があるのかわからないけれども、それがうまく回収されたらうわーーーすげぇってなるかもしれない...けど、実はそうでもないのかもしれない、いや、もうどっちでも良いからちょっと教えて欲しいなってのはありますね。教えてもらえないなら自分自身でもうちょっと考えてみます、いやもう実は既に考えて小説を書いてしまってるんですけど。そうそう、冬コミ2日目東O28bでジンバットがメインの本を出す予定です。宜しくお願いします。そろそろ文章書くの疲れてきたので終わろうかなーって気分になってきました。ここまでじっくり読んでくれた方がどれだけいるんですかね、自分が仲良い人には読んで感想くれくれってやるかもしれないんだけど、これ書きながら、うわっこんな文章書く行為めちゃめちゃキモっていう自覚はもちろんあるので恥ずかしいって気持ちも少なからずあるけど、恥ずかしいことを言うのはもうほんとなれてしまっていて、これ大人になったってことなんですよね多分。そう思いたい。なんか10年くらい前にとあるお姉さんに言われた言葉が未だに覚えてるんだけど、もうちょっとしたら厚顔無恥な人に自然となっていくよってニュアンスのことがあって。うっわー予言だこれと思ってるんですけど。ほんとそうですね、恥ずかしいいう気持ちは持ちつつも恥ずかしい行動をとれるというか、他人の目が昔ほど気にならなくなってるというか、この他人という言葉が明確になっている感じですかね。自分を大事に思ってくれるひととか、そもそも自分視点で自分の人生に関係している人ってそんな多くないんですよね、ネットやってるとたまに忘れるんですけど。だから、そんなごく一部の人に大きく誤解されなければ、割とその他の人にどう見られるかって割と大きい問題ではないよなーとか。もちろん、他人に失礼なことをするとか社会的に問題がある迷惑行為をするってことではないっす、ってかなんでネットで文章を書く時ってこんなエクスキューズってか前置きかかないといけないんすかね。おこです。なんか受け取り方が極端な人おおくないですか。どれだけの人数がいたら多いかわからないので目に付くだけかもしれないけど。なんか脱線してきた気がするからまとめに入ります。ポッピンQ1周年本当におめでとうございます。自分はもうポッピンQが社会的にどう評価されてるかとかは割りとどうでも良くて、自分が大事な作品だと思うことだけが大事だと思ってます。すぐに続編や新作がでるかもしれないし、同じ東映アニメーション製作で自分がずーーーっと大事に思ってた明日のナージャみたいに急に小説がでるとかかもしれないし、もうこれで公式からの動きは終わってしまうかもしれない。それはもう自分一人の行動で動かせる域を超えてしまっているので、自分は自分のやり方でながーく愛していきたいと思います。それこそポッピンQのダンスが他人に見せるためのショーダンスでは無く「祈り」をこめた舞いであったように、自分自身を信じて自分のできることをやって奇跡が起きたように。どんな形でも、またあの世界の続きが見られる日をずーーーっと待ち続けています。以上です。