映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』感想~それぞれのヒビオル~

 2018年2月15日、映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』の試写会に幸運にも参加することができ、一足先にこの世界に触れることとなりました。その圧倒的な美術と登場人物たちのそれぞれの人生を、約120分という短い時間に圧縮したような膨大な情報量を受け取ってしまい...鑑賞後は何とか息を吐き出すのが精一杯というような状態でした。

作品の出来の良さについてはもう触れる必要はありません。何が描かれていたか、それを鑑賞した自分は何を感じたか、そこから普段の生活に何かを持って帰るのか。まだまだ言葉にできないことが多いけど、この記事を書くことで公開後に2回目を見る時までに少しでも整理した状態でいければ...そんなことを考えてます。

 

予告編↓

www.youtube.com

 

公式サイト↓

shttps://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=JHwkaoRq26Mayoasa.jp

 

 

以下ネタバレ有り

 

 

 

全体の感想

この作品について他の人と語りあおうとする時、まず何から話そうかという状態に自分は少し悩んでしまったけれど、おそらく同じような人は多いのではないでしょうか。まずその理由から考えていたのだけれど、とある短い時期の1イベントを描いたのではなく、少なくとも何十年という時間の流れがあるからだと思います。どのシーンのどの要素をとりだして良いのか、2時間弱の映画だったのに序盤から思い出そうとすると遠い昔を思い出すように時間がかかってしまうのだと思います。そして、まずそれが縦糸ですね。次に人間と異なる存在との接触、出会いと別れ、人間の生死、(母)親と子の関係...あらゆる人間の営みは横糸。公式サイトのストーリー紹介の冒頭に「縦糸は流れ行く月日、横糸は人のなりわい」とあるように、映画を観終わった後にこのフレーズをみると本当にその通りですし、答え(?)は隠さずに最初から出してあります。だから実はこんなテーマが隠されていたのでは?とかって話始めるわけではなく、まずどんなお話だったのかは多くの人に非常に伝わりやすい形だなぁと。そして横糸として描かれているのは何もこの作品に限った特殊なことではなく、あらゆる作品で描かれている普遍的なテーマだったとも思います。

 一つ一つ分解していくと「あっ、この要素はAのゲームで」「この要素はBの小説で」「これはCのアニメで」というようなる方は多いんじゃないんでしょうか。様々なメディアでファンタジーの世界に触れてきた自分みたいな人間としてはこれはどこかで...となる場面が多かったのですが、それが特定の過去作の何らかのオマージュとかそういうわけではなく、この「さよ朝」で描かれているのはファンタジーの基礎の基礎というところをしっかりと詰め込んで描いているから、むしろ逆の存在になり得るのだというように考えが至りました。もしかすると例えば10代の少年少女達がこの作品にファンタジーの入口として触れた時に、この作品こそが彼らの基礎になりうる程の強度がある作品なのかと思ってしまうくらいです。作品に出会う時期、それまでに蓄えてきた知識と経験によって感じることは全然違うので、色んな人の感想を読んでみたいですね。

 

 

 

と、ここまで真面目に文章を書こうと頑張ったんですけど、ちょっと疲れてきたのでここからは箇条書きに近い形で、てきとーに感じたことや思いついたことをつらつらと書いていこうと思います。2回目を鑑賞した後に修正したりまとめたり、新しい記事とするかはまだ決めてないですが気分でやっていこうと思います。

 

・ヒビオル

これは「日々織る」からとった造語かな。作中で頻出する単語であらゆる場面で複数の意味を持つ言葉として使われている。日本語に翻訳しようとした時に、それに対応する一語で綺麗に言い換えができる言葉ではない。日記、記憶、歴史、人生の一部、言葉でもあるし人間からしたら高価な布である。無理やりまとめると縦糸と横糸で織られたあらゆるモノとかになるのかな?

縦糸と横糸っていうので思い浮かぶのは中島みゆきの「糸」だったり、最近だとプリティーリズム・レインボーライブのいとちゃん関連のお話だったが、もう少し辿ると大学生の頃に仏教関連の本を読んで説話みたいなので経緯という言葉について見た時だったような気もするし明確ではない。

この作品におけるヒビオルはヒビオルとしか表現できない。この物語にはたくさんのヒビオルが描かれているが、マキアのヒビオルとエリアルのヒビオルが中心だ。二人が出会ってからラストシーンまでの時間でいうとエリアルのヒビオルとも言えるし、そのエリアルのヒビオルがマキアのヒビオルの横糸になる物語でもある。というより自分のヒビオルは他人のヒビオルが横糸となっているし、自分自身もだれかの横糸になっている。壮大な話だ。感動という単語を作品の修飾語として使うのは苦手な自分だが「一大感動巨編」と言う理由というか想いはわかる。

 

・イオルフ

ヒビオルをはじめ用語がたくさんでてくる作品だけど、日本語から音をとっているような感じがしてすっと入ってくる。衣織る布?衣織る夫?とかかな。イとフの間に畏怖をいれたり、ifという意味かもしれない。正解とかはどうでもよいただの妄想ではあるけど、とにかく頭の中に文字を浮かべなくても音として入ってくる。パルスのファルシのルシがコクーンでパージする人は少ないでしょう、良かった良かった。

 

レナト

これが初見の時の一番のひっかかりでうまく言語化できていない。レナトで調べてみると、なんとなくrebornあたりから引っ張ってきたのかなという推測になる。ただ仮にそれが正しいとして生まれ変わる、再生するということがこの作品のどことどうつなげるかはまだ。2回目鑑賞するときの課題だ。

 

・宗教と国家

いわゆる中世ファンタジーっぽい作品だと、人々の思想の根幹として宗教を登場させることは王道の手法だけど、この作品にはというよりメザーテには見あたらなかったように思えた(見落としかも)。攻めてきた国にはあるのかも。代わりにという言い方は変だが、架空の高次の存在としての神ではなくイオルフやレナトが存在しているからこそそれが対象になっているのかも。しかもそれは手が届かない存在ではない。

とにもかくにも人の営みを善い?部分も悪い?部分も丁寧に描いていた。どのキャラクターの行動にも納得(同意、共感とかではなく)というか、仕方ないというか諦念というのか。自分もそういう時期あった(現在進行形でも)、そんな環境にいてそんな状況になったらそうなってもしょうがないよねという描き方が上手い。と自分は感じたけれど、特定のキャラクターに感情移入して観るタイプの人はどうなのだろう?自分が比較的そういうタイプでもないので想像の話になるが、メザーテが崩壊したことで多少溜飲が下がったみたいなのがあるのかな。因果応報でもないけどスッキリ感が必要な人もいると思うし。そういう意味でも上手いのかな。ただ、イゾルは人によっては相当怒りを溜め込みそうとふと思った。

レイリアを救出する時に国旗を縦に引き裂くシーンがあったと思うんだけど、あそこが何故か印象的だった。冒頭、里の生活でレイリアが飛び降りるシーンがあったけど、身体能力の高さっていうのを思い出させてくれたし、アクションでお~っともなったんだけどそういうことだけじゃなくて。布を縦方向に裁つってのは横糸を裁つわけで...モノでも人間関係でも国家でも、作るのは労力と時間が必要だけど壊れる時は一瞬だよなーとか儚さと愚かさみたいなのをあの一瞬で勝手に感じた。

 

・出会いと別れ

突如襲撃されて意図せぬ別れをするところから始まる。その先でマキアはエリアルをはじめたくさんの人々と出会う。愛犬との別れ。救出に向かうため自分の意思で別れる。住む場所が変わったことで自分の中にいた新たな自分と出会う...物語序盤を思い出すだけでも色々な出会いと別れの形を描いている。そして数々の出会いと別れを繰り返したラストシーンで、だれも愛してはいけないよと長老に言われていたマキアが「愛して、よかった」という言葉を口に出す物語でもある。出会いと別れはセット、イオルフの民は(出会いと)別れの一族か。

 

・母性

色々な種類の母、母と子の関係を描いている。母というのは血縁だけでもない、逆に触れる機会がなくても血がつながっていること、父親が不在の母、愛されることに自信がない母、乳母(教育係?)、後見人?(長老)。試写会後に感想ボードをばーっと見たとき母は強い!と簡潔にまとめてるのがいくつかあって。自分の感覚としては鑑賞直後の感想としてすごいまとめ!と感じたのを思い出した。否定するわけじゃなくてそれが着想になったって話なんだけど、母性ってのはどの程度が先天的(生物的、本能的?)なもので、どの程度が後天的に獲得する、そうあろうとすることで得られていくものなのだろうって。いや、もちろん個人差はあるって結論なんだけど。現実に持ち帰ってくると、シングルファザーだったり、養子だったり、そういう関係ではないけど特定のコミュニティにおいて母という存在はいる(ボスだったり産みの親という表現での母)。まだまとまらないから、みーんながだれかの母ということにしておこう。

 

・タイトル「さよならの朝に約束の花を飾ろう」

タイトルにするくらい大事な言葉なのに、これがまだうまくしっくりきていない。前半のさよならの朝ってのはラストのエリアルとの別れだろう。「約束の花」これが多分見落としがある。劇中でマキアとエリアルの中で約束という単語は何度か使われていて、マキアがお母さんは泣かないというのも、エリアルが守るというのも約束であったはず。約束ってのは大事だし素敵なことだけど、約束を交わした両者自身も変化していくしとりまく状況が変わっているのにも関わらず約束を守ることを一番大事にしてしまうと、もっと大事なことを見落とすこともある。イゾルの忠誠なんかもこれか。臨機応変に約束をしなおすのも必要な時もあるかも...と話が脱線していったが、あとは花。マキアが最後に胸に飾った3つ?の花...レナトとイオルフともう一つ、夜に咲く花?だっけあれ関係あんのかな...次は集中して見落とさないようにしよう。

 

 

読み返してみるといつもに増して適当な記事になったが、書いてるうちに整理できたとこがあって良かった。とりあえずまとめなんですが、映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は思考の種になることはたくさんあるので、宣伝でたくさん目に入る「一大感動巨編」かどうかはわからないし、この記事を読んでくださってるあなたが面白いと思ったかはそんなのわからないけれども、「巨編」であるとは言っても良いと思いました!(これが書きたかった)

 

それでは公開初日、2回目の鑑賞に行ってきますね。

 

 

※2回目の鑑賞の感想記事を書きました

ssslod122.hatenablog.com