映画『きみの声をとどけたい』感想~「コトダマ」の力と呪い~

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 2017年8月25日。夏の終わりのその日「きみの声をとどけたい」という映画が公開されたのをご存知だろうか?大掛かりな宣伝をうった大作映画や話題の映画が多く公開されているこの時期、一つの名作がひっそりとこの世に生み出されていた。湘南の風が吹き抜けていくような爽快感、観た人の心に「声」や「言葉」の力について優しく問いかけてくれるような暖かさが感じられる作品という印象だった。そして何より、この作品の素晴らしさを自分の声でとどけたいという気持ちになる作品だった。

 

 

きみの声をとどけたい」ってどんな作品?

 

①.キミコエ・オーディション

一般的な作品の感想の場合まずはあらすじから書くところだが、この作品にあたってはキミコエ・オーディションの存在を避けることはできないと思う。

kimikoe.com

キミコエ・オーディションの詳細は上記のサイトに載っているため一読して頂くのが一番早いが、お忙しい方のために簡潔にまとめるとオーディション合格者には

  • CSファミリー劇場でのメイン番組出演
  • 声優事務所オフィスPACへの所属
  • ランティスよりCDデビュー
  • オーディション期間中に映像テクノアカデミアにて、プロの講師陣によるレッスンを受講
  • 2017年夏公開の劇場アニメーション作品にメインキャストとしてデビュー

という声優を目指す方にとっては非常に魅力的な特典のついたオーディション企画であり、ドキュメンタリー番組の作成(オーディション自体)、新人声優育成、歌手ユニットプロデュースを目的とした総合的なプロジェクトであり、その一環として「きみの声をとどけたい」という作品が存在しているのだ。こういったことから、映画単体の出来の良さ?を評価する評論家の方とプロジェクト全体を通しての意見を書いている方が混在しているということを覚えて頂けると、また一つ見え方が変わってくると思う。

 

※ここまで読んでオーディション自体に興味を持った方は、まずこちらの動画を。

それぞれ3分30秒程度の動画が全11回で公開されている。

www.youtube.com

 

②.あらすじ

あらすじについては公式サイトのstoryに全てがつまっている。kimikoe.com

 

そして本予告も公開されているが、何も前情報を入れずに観に行きたいという方は

こちらの動画はスルーして劇場に向かうことをオススメする。

www.youtube.com

 

多少のネタバレを許容してもどんな雰囲気か知りたいという方はこのミュージックビデオもオススメ。キミコエ・オーディションの合格者で、メインキャスト6人の声優もつとめたユニット「NOW ON AIR」が歌うED曲と特別映像。爽快感に溢れた名曲。

 

gyao.yahoo.co.jp

 

 

以下本編ネタバレありの感想

 

 

①「コトダマ」はなんでカタカナ??

  まず「コトダマ」という言葉を耳で聞いたとき、自分の脳内で変換されるのは「言霊」という文字だ。言霊という言葉についての理解度と印象は鑑賞者ごとに異なるものであり、日本に古来から根付く言霊的思想、そして言霊学の知識がどれだけ認知されているものかは誰にもわからない。そんな中で、日常生活でコトダマという音を聞いた時に一般的に共有されている認識は「言葉には力がある」「願いを口にすると叶う」「悪いことを言うと本人に返ってくる」というくらいだと想像している。そして、それはどこかオカルトでスピリチュアルで胡散臭い印象を持つ人も多いのではないだろうか。

 さて、話を「きみの声をとどけたい」に戻すが、この作品における「コトダマ」のスタート地点は主人公・なぎさの祖母が「コトダマって言ってね。」というセリフにある。ただ、その言葉を聞いた幼いなぎさは「コトダマ」という耳から声で聞いた言葉をどこまで理解したのだろうか。そして、コトダマのことを教えた祖母自身が、コトダマという言葉の持つ意味をどれだけ理解をした上で発言したのかは想像するしかない。こういったことを踏まえて、学術的、歴史的な背景を持つ「言霊」という言葉とこの作品における「コトダマ」という言葉は違っていて、なおかつ文字によって伝えられた情報ではなく祖母の声としてなぎさの耳に、心に届いた言葉であると私は考えた。

 

②主人公・行合 なぎさ

 なぎさというキャラクターの理解はかなり難しくて興味深いなというのが初見の時の印象だった。鐘を鳴らして叫ぶ、不法侵入をしてラジオの真似事までする、紫音から届いたメールに対するリアクション等々、良識をもった高校2年の女子高生とは言えない。蛙と会話をしたりコトダマが見えるという不思議ちゃん?っぽさ、初めて紫音と出会った時や夕と二人で会話する時、終盤紫音と言い合いになった後と叫ぶように泣く。うまく言葉にできない想いを抱えていて、ラジオの真似事をするシーンでは将来のことや友人関係にも疲れていますという言葉を口にする。

 なぎさのキャラクターを考える上で大事なのはもちろん「コトダマ」を信じているということだ。ただ、この「コトダマ」を信じているからこそ、悪いことを口にしたり、相手が前にいる時にはマイナスな感情を伝えることに対して臆病になっている、恐怖を感じているという印象を受けた。これは、きつい表現をすれば祖母から幼いころにかけられた「呪い」とも言えるのではないだろうか。生きていると負の感情を抱くことはいくらでもあるし、その時に口にだせない、愚痴も弱音も吐けないということはストレスを一人で抱え込んでしまう原因にもなる。

 

③矢沢 紫音

 紫音のキャラクターはなぎさに比べると割とすんなり入ってきた感じだ。幼い頃に母親が寝たきりになっていることが彼女の人格形成に大きな影響を与えているが、作中でもなぎさが触れているように亡くなったということではないことが非常に重要な要素である。どちらが悲しいかという話ではなく、寝たきりになっていることでいつ目を覚ますのか、もう二度と目を覚まさないかハッキリとしない状況にこれまでずっと置かれていたのだ。紫音はこれまで幾度となく母親に目を覚まして欲しいと願い、声に出してきたということは想像に難くないが、その月日が余りにも長かった。転校が多かったことも相まって、母親のことだけでなく普段の自分の気持ちや願いを口に出すこと、相手に届けようという行動に関しても消極的になってしまっている。初めて二人でラジオをした時に「私には伝えたいことなんてない」と言った紫音のセリフがとても印象的だった。自分自身を振り返ると、自分のことを話したい欲求が今よりずっと強かったのに、この子は何て悲しいことを言うんだろうって。

 なぎさがマイナス方向の感情をうまく伝えられないように、紫音の方はプラス方向の感情をうまく伝えられないようになっていて対照的だ。その二人が偶然ミニFMという狭い範囲にしかとどかないラジオを通して出会ったからこそ物語は進み、小さな奇跡が起きた。

 

④ストーリー進行

 ストーリーを振り返るとこの物語で大きく分けて3つのテーマが進行していた。一つは一番の盛り上がりを見せるラストシーンにあるように「朱音に紫音の声がとどくかどうか」。二つ目は「かえでと夕が仲がどうなるか」。そして3つ目は「なぎさがどう成長するか(自分の気持ちを伝えられるようになるか)」それぞれが同時に進行しながらも、非常にわかりやすく伝わってきて構成の巧さが光っていたと思う。

 最初の二つに関しては、あらすじや予告編の動画から想像していた通りの展開になり、おそらく自分だけではなく皆がまぁこうなるんだろうなっていう予想した通りに物語が進行したのではないか。ただ、大筋の展開が予想通りだったからと言って退屈だった、つまらなかったかというと全くそんなことはなかった。むしろ、期待していったものを期待以上で返して頂いて本当にありがとうという気持ちで一杯だ。

 3つ目のテーマを考える時、一番大事になってくる所は本当にラストのなぎさのシーン。時間にすると非常に短いが、これがあるかないかで物語全体の印象や持つ意味が随分と変わってしまうし、好みもあるんだろうなぁという部分でもある。ただ、個人の好みとこの作品がなぜそう作られたのかは別の話であって、そこを考えていきたい。

 もし、夏休みが終わって校庭で走っているシーンでこの作品が終わっていたのであれば、「朱音に声がとどくという奇跡の物語。そして、この物語を通して成長したなぎさは将来に関してはまだ未定で可能性はいくらでもある」という印象が強くなったのかなと。ただ、最後のシーンをはっきりと描ききったことによって「自分のやりたいことを見つけたなぎさ。その願いを口にすることで自分のなりたいものになれた」という印象が私の中に強く残ることになったのだと思う。その後どうなったのかは皆さんの想像にお任せしますよと余韻を残すこともできたところを、「きみの声をとどけたい」って作品はこういう物語ですよ、こういうメッセージをとどけたいんですよという製作者側の声が私には聞こえてきた。

 

⑤『きみの声をとどけたい』というタイトル

 映画を観終わって作品の内容を一通り振り返ってみた後に、あれ?このタイトルってそういえばどういう意味なんだろうってふと考えた。作品によって作中の印象的なセリフだったり、内容を端的に表した言葉や主人公の名前だったり、意味があったりなかったりとするものだ。ここからはもう単なる妄想に過ぎないが、きみの声をとどけたいという文章の空いているところを補足してみると『(誰が)きみ(誰?)の声を(誰に)とどけたい』のかという文章が浮かび上がってきた。

 元々が仮定の問題に答えは存在しないのは当たり前だけど、色々と妄想を膨らませていくのは面白い。一番最初に浮かんだのは物語の序盤。なぎさが紫音の声を朱音にとどけたいと提案して行動を始めることから物語が動き出した。行動していく内に仲間が増え、川袋電気店のオジさんもみんなの声を商店街にとどけたいと動いてくれた。かえでと夕の和解のためになぎさは二人の声をとどけようと動いていた。最後の放送をするために大吾は境内を使えるように交渉し、しょーちゃんを始め商店街の人も手伝ってくれた。6人の声を紫音と朱音にとどけるために。一つ引いた視点で考えると、製作関係者は『きみの声をとどけたい』という作品を観客にとどけたいと想いをこめていらっしゃるだろうし、私自身もこの作品の良さをこの記事を見たあなたにとどけたいと思って、今この文章を書いている。

 一人の人間が特定の誰かに自分の声をとどけたい、一人の人間が不特定多数のだれかに自分の声をとどけたい、複数の人間がたった一人へ自分達の声をとどけたい、複数の人間が不特定多数へ自分達の声をとどけたい......普段の生活で聞こえてくる声、注意深く聞かないと聞こえない声、自分が発している声。世の中には数え切れないほどたくさんの声で溢れている。

 

⑥まとめ

 「コトダマ」をテーマに、最初から最後まで「言葉」「声」の力をしっかりと描ききったこの作品。「コトダマ」を信じるが故にうまく気持ちを表現できないというマイナスの要素もしっかり描くことによって、変に説教っぽく胡散臭いポジティブ教のようにならず、伝えたいことを伝えつつも爽やかな気持ちで映画館から現実世界へ送り出してくれた名作だ。そして、自分自身が常日頃考えていることを丁寧に描いてくれた感謝の気持ちで一杯だ。

 ここからはもう自分の経験則になってしまうが「言葉には力がある」は間違いなくある。たった一言ありがとうと言われてすごく嬉しい気持ちになるだけでなく、日常的に使っている言葉によって世界に対する認識や行動自体がガラッと変わってしまうことだってある。「願いを口にすれば叶う」というのは真実でも法則でもないが、それを聞いて良い情報を教えてくれたり実現するために協力してくれる人は増えるし、助けてって声を出すと助けてくれる優しい人はたくさんいる。「悪いことを言うと本人に返ってくる」も同様に理論として正しいか正しくないかではないが、強く攻撃的な言葉を多く使っている人は漠然とした何かに不安や恐怖を感じてたり自分に自信がないのかなと思ったりもするし、あんまり近づきたくないよなっていう気持ちはある。ただそのくらい。

 この作品を観て「コトダマ」はあるんだ!!ポジティブな言葉だけを口にしていこう!!って気持ちが強くなりすぎると序盤のなぎさのように「呪い」にかかってしまうかもしれない。逆にこんなご都合主義なことは現実にはありえねー!!「コトダマ」なんてうさんくさいものはないわというのも何だかもったいないなとも思う。

 ダラダラと長文になってしまったけれども「コトダマ」の良いところだけをつまみ食いして、この作品から得たエネルギーを大事に使っていきたいな。願わくばこの名作がまだ存在を知らない人にとどきますように、この記事を見て映画に興味を持ってくれる人が一人でもいれば嬉しいな。そんなことを考えている夏の終わり。

 

 

 

 ※映画を観終わったらこのサントラ

映画『きみの声をとどけたい』オリジナルサウンドトラック「アクアマリンの思い出たち」

映画『きみの声をとどけたい』オリジナルサウンドトラック「アクアマリンの思い出たち」